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地域情報と食と農、ITと3Dに関するよもやま話

2015年1月28日水曜日

日本の人口分布(1150年面積地図、平安時代、源平の争い前夜)

1150年ごろの、旧国別の人口面積地図です。
(1マス=5000人)

1150年というと平安時代末期、藤原氏が没落し始め、源平の争いが活発化、平清盛が政治を握る直前の時期になります。


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他の時代と比べて特徴的な点は以下です。
・讃岐(香川)、志摩(三重の一部)が他の時代に比べてかなり大きい
・日本海側の北陸、山陰地方、出羽が大きい。特に北陸は東海に比べて大きくなっている。
・すでに関東地方が近畿よりも大きい。東北も九州並みに大きい。

この時代の経済的な中心は、機内、瀬戸内東部(讃岐や備州)、北九州、北陸、関東、東北だったことがわかります。

近世以前の物流手段が水運であったことは、
の記事でも述べたとおりである。

日本海側が太平洋側より栄えていたのは、大陸との交流があったというのもあるだろうが、
日本海側は対馬海流に流されても内海となっている日本海で国内のどこかにたどり着くが、
太平洋側や黒潮に流されると遠く太平洋の果てに行ってしまうため、当時の造船技術では海運にリスクがあり、太平洋側は陸運が中心だったためと思われます。

また、伊豆や相模が小国で、上総・下総・常陸、越前・越中、讃岐、豊前が大国であったことを考えると、
・頼朝の初期の挙兵が失敗したこと
・上総広常や千葉常胤の支援を得て頼朝は関東を平定できたこと
・常陸の佐竹が従わない間は西国に出兵できなかったこと
・木曽の義仲が東海ではなく雪の多い北陸経由で京都に攻め上ったこと
・福原(神戸)を追われた平家が、屋島(讃岐)を次の拠点としたこと
などの背景が見えてきて面白いです。

中世以前は関東はもともと半独立国のような気風があったと言われていますが、このマップを見ると関東が独立国家となりえる経済力があり、平将門のような反乱の素地があったこともわかります。

ちなみに、頼朝、義仲、平家、奥州藤原氏の4勢力の勢力圏は以下のようになります(1183年ごろ)。
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藤原氏が若干落ちますが3勢力が経済的に拮抗しているのと、義仲の勢力がこれ以上伸びることは頼朝も看過できない状態になっていたことがわかります。

(関連記事)

2015年1月24日土曜日

日本の人口分布 市町村別 面積地図 東海地方版

市町村別人口の面積地図(東海地方 : 静岡、愛知、岐阜)です。

人口を面積で表した人口面積マップは、以下のルールで作成しています。

・1マス = 10,000人、10,000人単位で四捨五入
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  • 隣接する長野、北陸の各県が小さいので、静岡が縦長に、愛知と岐阜が南西方向に大きく膨らんで歪んだ形になる。
 
  • 静岡は、富士川と大井川を境に、駿東・伊豆、駿河、遠江に分かれるが、3地域にバランスよく人口が張り付ている。政令市はない駿東・伊豆地域が以外に大きい。
 
  • 愛知は、名古屋、名古屋以外の尾張地域、三河地域で、やはり3等分される。以外と愛知県に占める名古屋市のシェアは大きくないのがわかる。
 
  • 岐阜は面積で広い地域を占める飛騨や北西部がほとんど存在感がなくなってしまう。中央の岐阜市が存在感が大きいが、静岡、愛知の都市と比べるとそれほど目立つわけではない。
 
[関連情報]
 
 

2015年1月8日木曜日

市町村別人口 面積地図 信越地域(新潟・長野)

市町村別人口 面積地図の信越地域版です。


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こうやって見ると、長野県は市町村数が細かく分かれている(市町村合併が進まなかった)ことがわかる。
おそらく、山や森林で細かく生活圏が分断されているので、規模が小さいからと言って簡単に合併という話にならなかったのだろう。
軽井沢地域は観光客が多く有名な割には人口は少ない。付近の商業・観光施設は全部首都圏からの客ということなのだろう。

この地域ではやはり政令指定都市の新潟市の存在感が圧倒的に大きい。
長野は、北信(長野エリア)、東信(上田、佐久)、中信(松本、諏訪)、南信(伊那、飯田)がバランスよく並立している。
新潟は、下越(新潟以北)>中越(長岡付近)>上越(上越市付近)の人口分布になっている。
なお、新潟(越後)は、明治にはもっとも人口が多い都道府県であった。

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